私は去年、Zの余りにも人を見下した言動に腹が立ち、面直でZにブチ切れ、浜川でZに怒鳴った事がある。
が❗
組長は決してそういうタイプでは無い。折衝事において、感情をむき出しにするのはタブーであり、淡々と業務を遂行する事が望ましい。
だから組長はZに切れた事も無い。(最近は組長もお年頃のせいか、怒りっぽいとこがあるかな。パンダも更年期が来るんだよ)
そんな組長が、先日あった通信陸上大会の敷島で、先生にブチ切れしたのだ💧
その時私は、
ビビってた💧
Zは本当に頑張り屋さんだ。
うちをアラマから追い出す為、Zが1つ罠を仕掛ける。あるいは人を送り込む。
それを私は耐えたり、チワワ帝王に愚痴ったりして逃げ切る。
すると終わった数日後には、またすぐに次の戦いが幕を開けるのだ。
自分が直接手を下さず、人を使い、他の人の権力をまるで自分のものの様に使って戦う様から、
私はこの頑張り屋さんを「コーチZ」と名付けた。
Zのこの一貫して卑怯な戦い方は、まるで「ヤッターマン」に出て来るドクロベエに似ている。
≪ヤッターマン↓≫
このアニメの悪役を務める3人組は、Zが私を倒すために派遣してくる保護者であり、
派遣元のラスボスの名前が「ドクロベエ」と言い、ドクロベエの実家は「XYZ星」という宇宙の星なのだ。コーチZはこのZから来ている。
話を戻そう。
私が先生に、
「もうZの嫌がらせにはウンザリだから、もうアラマを辞めさせて欲しい」と言った時
「11月まで我慢してくれ(※冬の期間はZは全く来なくなるから)。Zさんにボランティアで来てもらってる側で、来ないでくれとは言えない。だからと言って今、桜七に抜けられたら困る❗(※へちょが速くなりつつあったから)
それに来年度の6年女子は、円が居なければどうにもならない❗(※今、レギュラーで練習参加する5年女子が豆入れて2人しか居ない)
Zさんの、親に対する嫌がらせは何とも言え無いが、子供には絶対に手出しさせないと約束する。」
と、言った。
だからZの嫌がらせに耐えた。
それに1番は先生を尊敬する所もあったし、何より憎めないジィさんだから。
11月になり、Zがやっと消えた。
私は先生の手伝いで、濱口コーチの居ない城南や吉井の運動場等へ行く事にした。
色々大変なこともあったが苦ではなかった。
そしてある城南での練習時、先生と、また来春にZが戻って来た場合の話題になった。
私は先生に、私がZから言われた
という発言について、どう対処すべきか尋ねた。
先生は黙って聞いていた。
そして先生の口から出た言葉に、私は愕然とした。
先生:「なぁAさん。Aさんはどう思う❓」
実はこの時、数メートル隣にアラマキッズの役員の女性が居た。
先生は自分の考えを求められていたにも関わらず、全く関係の無い保護者に話を振ったのだった。
さすがに保護者は戸惑っていたが、
この保護者の回答が、追い討ちをかけるが如く最低だった。
保護者A:「大丈夫だと思います❗
Zさんは桜七ちゃんや円ちゃんの、
陸上選手としての成長を邪魔するぞっていう意味で言ってるだけであって、
暴力をふるうとか、そういう意味で言ってるんじゃないと思いますよ❗」
と、笑顔で言った。
この回答には
私の隣で聞いていた、
そして、私はこの回答を聞いて
と、真剣に思った。
Zはへちょ豆をフォークやハサミで刺すぞって脅してるだけで、包丁やナイフで殺そうとしてる訳じゃないから大丈夫とでも言いたいんだろうか💧
私はAさんの言いたい事が、微塵も理解出来なかった。
もう…コイツは
なんだと確信した。
昔、自分以外の人の立場になって考えるなんて無意味だという歌詞があった。
確かに100%相手の立場になって考える事は不可能だから、確実に不可能なことに注力するのは無駄だと言いたいのかもしれない。
でもそうじゃねぇだろと思う。
相手の立場になれないかもしれないけど、それでも立場になって考え様とする事は、根底に相手を理解したいという気持ちや、辛さを分かち合いたいと言う「思いやり」が存在する。
これを100%の確かさでは出来ないからやらないと言うのではなく、やってみたけど出来なかったのは、過程における意義がまるで違う。
だから「相手の立場になって考える」事は無駄でも無意味でも無い。
それが出来ない、あるいはしようとしない、この保護者は、
私には「頭にうんこが詰まってるから分からないんだ」としか思えなかった。
ちなみにこのAさんもZのお気に入りで、浜川駐車場でZが熱心に普及委員会へのお輿入れを勧めているのを見た事がある。
Zと距離の近い人って、どいつもこいつもどうして
自分(自分の子供)さえ良ければ良いという考えの人間が多いのか。
この保護者に文句の1つでも言ってやろうかと思ったが、諸悪の根源はZであり、ここでこの人に「思いやりとは何か」説いてやるほど私は善人でも無いし、うんこ頭では理解出来る見込みも薄いので、何も言わずに我慢した。
先生はZの事になると逃げ腰になる。
先生はその珍回答を超えた、うんこ回答に乗っかって
自分が聞いた訳では無いから対応しようがない、Zさんがそんな事言うなんて信じられないと言って終わった。
私はこれを聞いて
直ぐにこういった、学校内のいじめ問題をなかった事にする教員たちや、
「知らぬ存ぜぬ」を貫こうとする学校に関するニュースを連想した。
いじめはなかったとか、
分からなかったとか、
いじめられた側が何度も打ち上げていても、
学校側の対応って常にこんなもんだ。
先生は
もしかしたら「本物の教師」
なのかもしれないと感じた。
《 続く 》