アラマ裁判の判決は、ジャッジマン荒牧が判決文を読む前に、組長が頭に来過ぎて会話にならないと、その場を去ってしまった為、
結局、最終判決文を聞いてない💧
なんつーオチだとツッコミたいと思うが、
それが事実なので仕方ない💧テヘ
噂だと、親だけ追い出して、お豆はアラマを続けさせたいとか❓
そんな話も聞いたけど、先生は約束破ったから、それは私が許さない。
でも今回の戦いで、Zがついにアラマから追い出されたという事実は、大きな大きな戦果であると思う。
そしてZのアラマキッズ最後の日❗
《⬆イメージ図💧》
Zは辞める直前まで、城南で各母親グループを小走りして回って、
「俺もうアラマ辞めるから❗ぽんじろうさんに無視されて心が病んでしまったから❗」
と得意の訪問販売型告知をやった💧
オマケに「月曜からもう来ない」と宣言したにも関わらず、
時間に遅れて月曜に現れ、
《⬆イメージ図》
とフツーに現れた💧
周りの気を引く為には、なりふり構わないと言うか💧
もう節操もプライドもなくなっている💧
ある私の聡明な友人は、
「自分がアラマを辞める理由が、ぽんじろうさんに無視されたからなんて、それ聞いた時、こんなメンタル弱い人間に自分の子供を任せられないと思いましたよ❗」
と語った💧
イヤイヤ、親が来ている浜川で、その親の目の前で子供を無視して仲間外れに出来る神経の持ち主だ。
そんなナイーヴなメンタルの訳がない(笑)
そもそも組長は「Zを追い出し、うちもアラマを辞め、それで喧嘩両成敗で終われば、もうそれでいい」と言っていた。
だから志の半分は遂げられたと思いたい。
しかし❗
「何ですか❓その終わり方。
俺は今、円にアラマに戻って来いって、
もうZは居ないから大丈夫だって言ったばかりなんだ❗
何で何も悪くない円がアラマを辞めるんですか❗」
その結果を不服に思い、ついに先生に提言する人物が現れる❗❗❗
ラダ・ビノード・パール
通称 パール判事と言えば、知ってる人も居るだろう。
1940年代、急成長して来た日本を目の上のタンコブに思った欧米が、自分達が危うくなる前に叩き潰そうと、日本が欧米相手に開戦する様に仕組んだ。(ABCD包囲網)
しかし日本は敗戦し、戦争に勝利した欧米が、日本に戦争責任を追及するため裁判を行った。それが東京裁判である。
この時、米、英、仏、中、カナダ、豪州、オランダ、ニュージーランド、ソ連、インド、フィリピンから各1名ずつ、合計11名の判事の内、たった一人を除く全員が日本を有罪とした。
しかしそのたった一人の判事、
ラダ・ビノード・パール判事だけが、日本の無罪を主張する。
へちょ豆が小6小5時の第1次Z大戦、そしてへちょ豆中1小6時、つまり今回の第2次Z大戦。
第1次Z大戦時、Zは私の陰口拡散に日々尽力し、うちはアラマの中でめちゃくちゃ嫌われていた。(今も好かれちゃ居ないが)
ある人には
「申し訳ないんだけど、私の事はブログに書かないでくれる❓〇〇さんに、ブログにあんたの事が書かれてたけど、あそこんちと仲良いのか❗って言われちゃって…」
Zに削除された旧ブログを立ち上げた当初、そんな事もあった。
この〇〇さんというのは、今でも忠実なZ一派である。
もちろん、当初は私がZから受けている嫌がらせを信じてくれる人は誰もおらず、
あんな男気溢れる素晴らしい人が
いじめなんてやるはずが無い❗❗✨✨✨
そう言われていた。
私の味方なんか居なかった。
どんなに本当の事を言っても、誰も信じないのだから。
そんな中で、1番最初にへちょ豆に対するZのいじめに気付き、
Zからへちょ豆をかばってくれた人が居た。
その人は…❗❗❗
《続く》